豊明市の市長として長く市政を担っている小浮正典さん。
これまでどんな道を歩んできた人物なのか、気になっている方も多いのではないでしょうか?
そこで今回は、
- 豊明市長・小浮正典の学歴や経歴は?
- イオンや朝日放送の元社員だった!
このことについて記事にしてみました。
早速本題に入っていきましょう!
豊明市長・小浮正典の学歴や経歴は?

まずは小浮正典市長の学歴や経歴を紹介していきます。
市長としての姿だけでなく、その背景を知ることで人となりがより分かりやすくなりますね。
京都大学出身!
小浮市長は1969年3月11日、大阪府大阪市で生まれました。
2025年で56歳になります。
学歴をたどると、1992年に京都大学経済学部を卒業しています。
大学では相撲部に所属し、主将まで務めた経験があるそうです。
今でも大相撲の中継は見ていて、毎年夏に開催される名古屋場所では、豊明市内に宿舎を置く西岩部屋に稽古の見学にも行く相撲好きな一面があります。
また、学生時代は映画監督を目指して脚本の勉強をしていたこともあり、幅広いことに関心のある生徒だったようです。
その後、1997年からアメリカ・ピッツバーグ大学の公共・国際問題専門大学院に留学し、1999年に修了しました。
(1992年にはすでに朝日放送に入社していますので、就職してからアメリカに留学しているようです。)
海外で学んだ経験は、次々と新しい提案をし現在の市政運営にも大きな影響を与えているのではないでしょうか。
さらに、2004年からは立命館大学法科大学院に進学し、2010年に修了しています。
経済、国際問題、法律と幅広い分野を学んだ背景からも、行政に携わるための基礎を着実に積み上げてきたことが分かりますね。
元イオン勤務!
卒業後のキャリアは多彩で、まずは1992年に朝日放送へ入社しました。
テレビの世界からスタートしたものの、数年で退職し、その後は朝日新聞社や東京MXテレビといったメディアで勤務します。
『パーキング プレス』の対談で、報道の現場で上層部と衝突することもあり、なかなか思うように働けなかったことがあったと明かしています。
その後、2006年にイオン株式会社へ入社し、企業広報や社会貢献活動に取り組みました。
特に大きな転機となったのが2011年の東日本大震災です。
イオングループの被災地支援に関わる中で、円滑に運営されている避難所には強い地域コミュニティがあることを実感し、地方行政に関心を持つようになったといいます。
2012年には全国的にも珍しかった「副市長公募」に応募し、豊明市の副市長に就任。
経験を積んだ後、2015年の市長選挙に立候補し、初当選を果たしました。
その後も2019年、2023年と無投票で再選を重ね、安定した市政を続けています。
豊明市長・小浮正典の改革は?

市長としては、市民の暮らしに寄り添う姿勢が目立ちます。
例えば2020年には「パートナーシップ宣誓制度」を導入し、多様な生き方を尊重する市政を推進しました。
また2023年には「子連れ出勤OK」の制度「ワークwithチャイルド(ワチャ)」を全国で初めて試験的にスタート。
小浮市長自身も子供と一緒に出勤してみると話しており、働き方や子育ての新しい形に挑戦する姿勢がうかがえます。
そして、2025年8月には「スマホは一日2時間まで使用」という条例案を提出し、話題になっています。
学生時代は海外留学もし、幅広いキャリアを積んできた背景が、市長としての安定感につながっているのかもしれません。
まとめ
小浮正典市長は京都大学で相撲部の主将を務めた学生時代から、アメリカ留学や法科大学院修了まで多方面に学びを広げてきました。
テレビ局や新聞社、イオンなど多様なキャリアを経験し地方行政に目を向けたことが市長への道につながったといえます。
現在は豊明市長として3期目を務め、市民に寄り添う政策や新しい取り組みに挑戦し続けています。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
