2025年10月、高市内閣で「経済安全保障担当大臣」に抜擢された小野田紀美さん。
SNSでの発信力も高く、Xのフォロワーは80万人を超えるなど、若い世代からの支持も厚い政治家です。
そんな小野田さんの父親はどんな人なのか気になっている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そこで今回は、
- 小野田紀美の父親は行方不明!
- 妊娠中の母親を置いて蒸発していた!
このことについて記事にしてみました。
早速本題に入っていきましょう!
小野田紀美の父親は行方不明!

国会議員として活躍している小野田紀美さん。
芯が強くてまっすぐな姿勢が印象的ですが、実は幼い頃に父親が行方不明になるという過去がありました。
一見、エリート家庭に生まれたように見えますが、家庭環境は少し複雑だったようです。
家族構成は?
小野田さんのご家族は、父親、母親、妹の4人家族です。
小野田さんは、アメリカ人の父親と日本人の母親のもとに生まれたハーフです。
1982年にアメリカ・イリノイ州で生まれ、1歳の時に両親と一緒に日本に移り住みました。
その後は、母の地元である岡山県で育ち、妹と3人暮らしだったそうです。
小野田さんは、「母親は安倍晋三元総理と同い年」だと言っていますので、1954年生まれ、現在71歳になっているようです。(2025年現在)
ちなみに母親の岡山県の実家付近は、のどかな地域のようです。
父親はアイルランド系アメリカ人だと明かされています。
そして、身長は190㎝と大柄な男性だったそうです。
小野田さんが170㎝と高身長なのは遺伝ではないでしょうか。
国際結婚を選んだ両親でしたが、家庭生活は長く続かなかったようです。
父親が蒸発していた
家族で日本に移り住んだのち、父親は姿を消してしまいました。

蒸発した当時、母親は妹を妊娠しており、妊娠中に夫がいなくなってしまったそうです。
日本の暮らしに馴染めなかったのか、それとも家庭の事情があったのか、理由は明らかにされていません。
その後、父親からの養育費なども支払われず、母親が女手ひとつで子供たちを育てていくことになります。
父の存在がほとんどなかったため、小野田さんにとって「家族」といえば母親と妹だったようです。
母親はキャリアを捨ててダブルワーク
母親は昼は会社員、夜は塾講師として働きながら、2人の子供を育てていました。
昼間は会社員として働き、夕方から夜遅くまで塾講師として勤務し、土日も塾講師の仕事をしていたそうです。

語学が堪能で、日本語・英語・ドイツ語を話せる才女でもあり、アメリカでは資格を取得することもしていたそうです。
小野田さんが「母はキャリアを捨てて塾講師や会社員として働いていた」と話していることから、アメリカでは専門的な仕事に就いていたのかもしれませんね。
そんな中で育った小野田さんですが、父親がいないことで不自由を感じたことはなかったと話しています。
母親が家を空ける時間が長くても、寂しいと思ったことはなく、むしろ自由でのびのびとした時間を楽しんでいたそうです。
金銭的に母に苦労をかけたとは感じているものの、「母子家庭だから苦労した」という感覚は一度もなかったと語っています。
今でも母親とは仲が良く、アームレスリングをしても勝てないというエピソードもあるほど。

年齢を重ねてもエネルギッシュな方のようです。
小野田紀美の父親は現在どうしてる?

小野田紀美さんの父親は、現在どうしてるのか不明です。
しかし、大人になって小野田さんは父親に会ったことがあるようです。
小野田さんは、父親が蒸発した事実を大人になるまで知らなかったそうです。
そして、大人になって偶然、父親と再会する機会があり、その時に初めて蒸発の事実を知ったといいます。
母親は一度も父の悪口を言わず、娘たちに「いない理由」を語ることもなかったようです。
そのため、幼い頃は「父がいない」ということを特別に意識していなかったのではないでしょうか。
ただ、SNSでは「こんな人の血が流れているなんて」と率直な気持ちを明かしており、その時の衝撃が大きかったことがうかがえます。

母親や妹との関係は今でも良好で、小野田さんのSNSでは家族の話題がたびたび登場しています。
しかし、父親についての投稿はほとんどなく、交流が続いるという話は出ておらず、現在も関係は途絶えたままだと思われます。


まとめ
小野田紀美さんの父親は蒸発していたという意外な事実がありました。
しかし、母親の明るさと強さに支えられ、のびのびと成長してきたことが伝わってきます。
現在の芯の強さやまっすぐな発言も、幼少期の経験があったからこそかもしれませんね。
ここまでお読みいただきありがとうございました!

