今、社会活動家として自民党所属の衆議院議員として注目されている大空幸星さん。
若くしてNPO法人を立ち上げたその行動力の裏には、想像を超えるような過去があったようです。
そこで今回は、
- 大空幸星の生い立ちが壮絶すぎ!
- 父からの暴力や母の蒸発で一家離散!
このことについて記事にしてみました。
早速本題に入っていきましょう!
大空幸星の生い立ちが壮絶すぎ!

NPO法人「あなたのいばしょ」の代表として、今やメディアでも多く見かける大空幸星さん。
でも、ここまで来るまでには、想像を超えるような過去があったようです。
両親の離婚
小学校5年で両親が離婚しています。
大空さんの家庭が大きく変わったのは、小学5年生のときです。
両親が離婚し、母親が家を出ていってしまいます。
そこからは、もともと関係が良くなかったという父親と暮らすことになりますが、生活はさらに厳しくなっていきました。
もともと衝突することが多かった父との関係はさらに悪化し、暴力を振るわれることも度々でした。
引用元:中央公論
しばしば暴力を受けるようになり、中学1年生の頃には心も身体も限界を迎え、入院することになります。
この頃、大空さんは「何度も死のうと思った」と振り返っています。
中学で一人暮らし
中学生になると、ほとんど一人暮らし状態でした。
退院後、大空さんは東京で再婚していた母親のもとに引き取られました。
ですが、母親も再婚相手もとにかく忙しく、家にはほとんど誰もいない状態。
中学3年間は、ほとんど自分ひとりで生活していたそうです。

温かな家庭を知らないのは悲しいことですね
毎日1000円だけ渡されて、近所の定食屋に通う日々。
いつもテーブルに千円札が置かれていたので、食事はそれを使って定食屋で食べていました。
引用元:中央公論
その定食屋の存在が心の支えになっていたそうで、「子ども食堂のようだった」と話しています。
大人がいない部屋に帰って、一人でご飯を食べて、また一人で寝る。
そんな毎日が続いていたと思うと、胸が苦しくなりますね。
大空幸星は高校に通えなかった!


大空幸星さんのそんな生活は、高校生になってからも続きます。
むしろ、もっと厳しくなっていったようです。
母親の再離婚
高校在学中に、母親は再婚相手と離婚し、生活が苦しくなります。
家計はさらに苦しくなり、大空さんは自分の生活費を稼ぐために、夜勤のバイトを含む複数の仕事を掛け持ちしていたといいます。



3つもバイトを掛け持ちしていたそうです
学業とバイトの両立に加えて、家では母親と激しい言い争いが続く日々。
「産んでやったことに感謝しろ」と言われたり、時には母親が包丁を持ち出すこともあったそうで、大空さんも「頼むから死んでくれ」と言い返したほどです。
母と僕の口論はとどまるところを知らず、ときには母が包丁を持ち出すこともありました。「お前を刺して自分も死ぬ」と言う母に、僕は「頼むから死んでくれ」と言い返しました。
引用元:PRESIDENT
あまりにも重たい現実の中で、それでも大空さんは「普通の高校生」を装って過ごしていたと語っています。
しかし、一つ救いだったのが、高校二年のときに1年間ニュージーランドに留学したことでした。



祖父母の残してくれたお金でなんとかホームステイをすることができたそうです。
この1年間はホストファミリーの元で、温かな家庭の経験ができたそうです。
これが今の大空さんの包容力につながっているかもしれませんね。
担任に救いを求めた
ついに限界を迎えた大空さんは、担任の先生に「学校を辞めます。死にたいと思っています」とメールを送ります。
すると、翌朝すぐに先生が大空さんの住んでいるアパートの前まで駆けつけてくれたそうです。



母親が学校に自宅の住所をデタラメに書いていて、家になかなかたどり着けなかったそうです
この出来事が、大空さんにとって「人を信じてもいいかもしれない」と思える大きな転機になりました。
大空さんはこの先生との出会いを「運が良かったから」と語っています。
でも裏を返せば、そうした出会いが「偶然」に左右されてしまうことが問題だとも感じたのだそうです。
大空幸星は大学生でNPO法人を立ち上げた!


慶應義塾大学在学中にNPO法人「あなたのいばしょ」を設立します。



この団体では、24時間365日、チャットでの相談を受け付けています。
電話ではなくチャットに特化しているのは、若い人がより気軽にアクセスできるようにという考えから。
相談員は日本国内だけでなく、海外14か国と連携。
時差を活用することで、特に自殺が多い深夜帯の対応も実現しています。
また、大空さんが掲げる「本気の他人事」という支援のスタンスも特徴的です。
相談者の苦しみに真剣に向き合いつつも、感情を押しつけたり介入しすぎたりせず、冷静に寄り添う。
そうした姿勢こそが、心の安心感につながり、「明日も生きてみようと思います」という声が日々届いているそうです。
まとめ
大空幸星さんの生い立ちは、想像以上に壮絶なものでした。
中学生で実質一人暮らし、夜勤バイトを掛け持ちしながら生き抜いた高校時代。
その中で「誰にも頼れない孤独」を知り、「誰かの力になりたい」と願った結果が、「あなたのいばしょ」という場所につながっています。
自分がたまたま運良く救われたことを、運ではなく仕組みに変える。
その強さと優しさが、多くの人の希望になっているのかもしれません。
ここまでお読みいただきありがとうございました!